ふとした事なんですが

 小説を久々に読み返したとき、ふと違和感を覚えることがある。
 今、自分が読んでいるページより、もっと後にある妙な隙間。はて、クセがついたかな? とそのページを捲っていると、そこには昔読み返しでもした時のであろうしおりが。
 そんな経験ないだろうか?
 自分は小説を読んだら次の未読作品、次の未読作品とずいずい行ってしまうタイプで、よっぽど好きな作品でない限り読み返しがなかったりする。本棚に残っている小説は、読み返す可能性のある作品については鎮座しているのだが、それでも読み返す作品というのは稀だったりする。
 なにせ時間が足りない。ないのでなく、足りない。
 世の中にはまだまだいっぱい読んでいない本が溢れていて、また、自分の使う時間全てが小説読書に当てているわけでもないわけで。
 こうしてブログを更新したり、ネットを楽しんだり、漫画ももちろん嗜むし、漫画や小説を楽しむためには商品を買わねばならない。ネット通販をしないタチの自分は、足を運んで目で見て買いたい派なので、移動にも時間が割かれる。電車を使えば、三十分程度は読む時間に裂けるんでしょうが、そんな往復代金があるなら、それを本代につぎ込みたい。チャリを使えば健康にもいいじゃんと、その時間は、ウォークマンなんか聴きながら日本橋や梅田なんかへ行く。
 何をするにも時間と金はかかり、時間が過ぎればその月に出る新刊が数十冊と発行される。
 月に数冊程度、贔屓にしている作家の作品を買い、余った時間は前に出た作品を一足も二足も遅く読んでみたりする。それが当たれば、最新刊まではそれを集中的に読む。気付けばまた出版社から新刊が……といった具合に、時間が過ぎていく。
 そんな中、発掘も一段落し、新刊も全部読みきってしまった空白。ふと本棚を見て、印象深かった作品を読み返したりする時。或いは、小説雑誌に載っていた短編を見て、そのシリーズを読み返そうと思った時。
 そこに忘れ去られた痕跡を発見するのが、妙な気分になったり。
 間違いなく一度は読みきっているから、そこにしおりがあるのはおかしい。だとすると、自分がいつか読み返したことになる。
 自分のことだから、今回みたく、読み返そうという気分になり、いつの間にか新刊優先で読んでいるうちに忘れて本棚に戻したんだろうなあ、と予想するわけですが、果たしてそこに置き去りにされたしおりは、次に自分がそれをどけて続きを読むのを待ってるわけですよ。
 妙にしおりが減ってる気がする……と思った時期が一度か二度あったのですが、これもまた原因の一端を担ってるんだろうなあと思うと、ちと反省しなくては、と。
 あー、本の間にお札を挟んだまま忘れてないかなー(たまにやるんです)。