瞑想とヱヴァと(後編)

 ある少年がいた。
 小柄な事を除けば、ごくごく普通な、好奇心が旺盛な子供であった。
 いくつかの習い事をこなし、それ以外の時間のほとんど全てを友人と門限一杯まで遊ぶことに費やし、門限が来ると素直に帰宅し、アニメを観て育つ―――そんな、ごくごくありきたりな少年がいた。
 年とともに少年は、親族から、友人から、学校から、塾や習い事のコミュニティから、その他様々な場面で見聞を広めていく。
 徐々に変わっていく少年達。
 中学あたりを境に、少年達の嗜好は著しい変化を遂げていった。
 その中で、少年の嗜好は変わらず、
 アニメが大好きであった。
 少年はいつしかオタクと言われ、それを恥ずかしいと思った時期こそあったが、それはアニメを観る気力を奪うには、アニメというモノは少年にとって魅力がありすぎた。
 達観か諦観か、少年が青少年と言われる段階に至り、オタクがなんだと開き直るようになった。
 時代は少年に追いつき、しかし、何故か少年達を受け入れる世界は未だこない。
 ああ、だがしかし、ソレだけは彼らを受け入れた。
 無論、アニメである。

 10年前、伝説になったアニメがあった。
 10年前、当時小学二年生であった少年は、そのアニメの事を「歌はいいけど、よくわからないアニメ」と観る事を放棄した。
 若気の至りとは思わない。
 無邪気であり、蛮勇な少年達が笑い、怒り、必死になりながら明確な悪と立ち向かう―――そんな「分かりやすい」物語をこよなく愛した彼らにとって、
 自分の無力を認め、常に何かから逃げるように、陰気な少年が、「ヨクワカラナイモノ」に立ち向かう―――そんな「分かりにくい」物語を、さも悟ったように「コレはすばらしい」と観る8歳児など、それは断言を持って間違っていると言えよう。

 時を経て、見聞の広まった少年は、当時「歌はいいけど、よくわからないアニメ」が伝説的な評判を得ていたことを知る。
もののけ姫」を観て、何かを考える程度の教養を身に付けはじめ、自分が純文学の主人公めいた思考を持ち始めた、いわゆる中二病が身につき始めた時分である。

 月の始め、レンタルビデオ店で何かのアニメを借りる事が一家の習慣となっていた時期、少年は彼のアニメ―――「エヴァンゲリオン」を借りよう、と親にせがんだ。
 視聴し、あのオープニングを懐かしむように堪能しながら、視聴する。
 月にVHS二、三本。大体一月に放映されるアニメの分量と同じくらいの時間を、少年は貪った。
 あぁ、何て可愛いんだアスカ!
 いつが契機だったか、月の初めにビデオをレンタルする習慣は廃れ、けっきょく少年は最後までこのアニメの最終回を観る事は適わなかった。小遣いの少ない少年にとって、例えレンタルビデオでも、その出費は痛く、最終的に少年がアニメの結末を知ることは無かった。
 少年が知っているのは、カタチに残る媒体―――漫画という媒体で作品を追った。

 更に時は流れ、青少年から青年へなろうとする彼の前に再びエヴァンゲリオンが帰ってきた。



 まぁ洒脱に行こうぜ。

 果たしてどこまでがネタバレなのか、と戦々恐々。妙な間隔があるあたりからはもうネタバレしちまってるような気がしなくもなく。とりあえず観てから出直して来いというべきなのが正しいような気がしなくもなく、人によってネタバレの範疇も違うしなぁ……
 当時のエヴァを知ってる人がいるのなら、お、と思わせる何かのキーワードを見てもらって劇場に足を運ばせる孔明の罠を敷くべきなのかどうなのかとか考えながら。
 自分のネタバレの定義から言うと、ネタバレじゃないレベルなのですが各々の判断で14へ進め(TRPGネタ出して分かってもらえるのか?

 そんなわけで「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」観てきました!
 変な黙示録に、更に変な一文が混じってた気がしなくも無く。コレが終わりのクロニクルのあとがきなら、「ちょっとアスカたんが出てないじゃないですか、最悪ですねこのアニメ」とか言うところですが、いや、非常にいいもん観させて頂きました。
 いや、リメイクか総集編か新作か、などと言われていますが、もうどうでもいいよ。
 凄い。その一言で済ませていいとおもいますもう。思考停止しちまうんだぜ?
 脱皮なんて生ぬるい、まさに新生。

 あっあっあっ―――! とかなりながら息をのんだり、過呼吸気味に興奮したり、何でもないようなシーンなのにジーンと感動してみたり、買うつもりの無かったパンフレットが、劇場を後にしたらトートバッグに入っていたり、帰りに衝動に突き動かされてラムさんに電話して吐き出してみたり―――




 とりあえずアレだ。妙な音たてながら変形するキューブがビーム撃つとかもう漢のロマンですよ!
 あの絶望っぷりが堪りません! 絶望的状況萌え。ラミエルたん萌え。いやもう無理だろ。ていうかいっそ勝っちまえYO! といわんばかりの圧倒的なまでの存在感。
 ヤシマ作戦の演出もかっこいいのなんの!
 第三新東京市が生えてくるシーンも鳥肌モノです。なんだこの憧憬。
 声優の演技も劣化なんてとんでもなく、寧ろ前よりパワーアップしてね? と慮らんばかりの熱演っぷり。
 そしてエンドロールが終わった後―――
 そう、この作品にはロマンが溢れている。
 俺たちがいつしか失っていた何かを、じんわりと心に侵食しながらそれに浸らせてくれる。
 ああ、やっぱりアニメっていいなぁ……オタクで良かったと、本当にそう思った。

 無論、ケチをつけようと思ったらつけれますよ。
 まず、圧倒的に時間が足りない。
 駆け足で二時間を駆け抜けなければいけない状況で、シンジの心理描写の点がおざなりぎみになってしまった。
 序盤、エヴァに乗るのを嫌がった彼がどうしてそれでもエヴァに乗るか―――
 そもそも、シンジの日常パートである学校、学友やミサトさんとの共同生活のシーンをガリガリ削らねばならなかったのは痛いと思う。

 しかし、だがしかし、それを差っ引いてもこんなに充実した時間を過ごさせる魔力って言うのは、本当に凄いと思う。

 余談ですが、そんなレイトの興奮冷めやらぬまま記事を書きながら、ふとらき☆すた最終回がニコニコ動画にうpされている時間になるので視聴。
 いやあ、いい。白石EDさえなければ
 いや、自分の中で今年一番のアニメとは瀬戸の花嫁(ヱヴァはとりあえず置いておいて、ですが)であり、しかしこのらき☆すた最終回はその不動を動かしえる力を持っていた。「いた」のだ。最後くらい、なくても良かったんじゃないかな? というか、京アニにここまでさせる信念って本当になんだったんだろう……? ようつべ、ニコニコ、ν速などなど、ネットに勝った京アニが白石エンディングの評判を知らないはずはありませんし、ある程度京アニの意思は白石EDを始めて数週間でユーザーに知らしめられ、懲りたということくらい分かっているはずなのに。
 そして続けざまに瀬戸の花嫁ハヤテのごとくを観ながら記事をあくせく。
 昨日という日は、色々歩き、色々観た、本当に充実した日でした。こんな日はコミケ以来だわ。
 ああいった、祭り以外でこういう日を過ごせた稀有な体験は、一体いつまで色褪せずに俺の記憶に残るんだろうか……? など思いながら。